会社売却を考え始めたとき、取引先との代金争い、顧客からの損害賠償要求、製品の不具合、元従業員との労務紛争、税務調査や行政庁からの照会が進行していると、「問題がすべて解決するまでM&Aはできない」と思い込みがちです。しかし、係争やクレームが一件でもあれば直ちに譲渡不能になるわけではありません。買い手が知りたいのは、問題の存在そのものに加え、事実関係、最大損失、発生可能性、事業継続への影響、再発防止策、そして譲渡企業がどこまで誠実に把握しているかです。
一方で、問題を軽く見せようとして開示を遅らせると、信頼を失い、価格の大幅な見直し、交渉中止、最終契約後の補償請求につながり得ます。大阪・関西の中小企業では、社長が苦情処理や官公庁対応を一人で抱え、顧問弁護士、総務、現場責任者が持つ情報が分散していることもあります。「裁判になっていないから係争ではない」「保険に入っているから損失はない」といった判断だけで資料から除外するのは危険です。
本稿では、株式譲渡を中心に、事業譲渡も視野に入れながら、進行中・潜在的な紛争や行政対応をM&A前にどう整理するかを解説します。法的責任、税務処理、労働法上の手続、行政処分の承継、保険金の支払可否は個別事情で異なります。最終判断は弁護士、税理士、社会保険労務士、保険会社、所管行政庁などへ確認してください。
「問題があるか」より「範囲を説明できるか」が重要
買い手は将来の資金流出と事業停止を見ている
買い手が懸念するのは、判決で支払う金額だけではありません。弁護士費用、社内調査、人員拘束、回収不能、製品回収、再施工、返金、行政対応、信用低下、主要取引先の離反などを含む総影響です。請求額が小さくても、同種クレームが多数発生する構造なら影響は大きくなります。逆に請求額が大きく見えても、根拠資料がそろい、保険の対象範囲が確認され、事業への波及が限定的であれば評価の不確実性を抑えられる場合があります。
したがって、譲渡企業は問題ごとに「誰が、いつ、何を主張しているか」「会社の見解は何か」「外部専門家の評価はあるか」「最大・合理的・最小の損失シナリオ」「今後の日程」「通常営業への影響」を一枚にまとめます。確率を無理に断定せず、判明事実と経営者の予測を分けることが大切です。
裁判になる前の火種も対象にする
訴状や内容証明が届いた案件だけを一覧にしても十分ではありません。値引き要求が続く顧客、検収を拒む発注者、退職時に未払い残業を主張した元従業員、契約解除を示唆する仕入先、SNS上の苦情、内部通報、事故報告、行政庁からの資料提出依頼などは、将来の紛争や処分へ発展する可能性があります。買い手のデューデリジェンスでは、会計上の引当金、滞留債権、返品記録、議事録、メール、保険事故通知との整合も確認されます。
社内で「正式なクレームではない」と呼んでいても、相手方から見れば明確な請求であることがあります。名称ではなく、金銭支払い、契約継続、許認可、評判、従業員関係へ影響する事象を広く抽出し、その後に重要度を分類します。
M&A前に洗い出す六つの領域
取引・契約上の紛争
売掛金の未回収、納期遅延、品質不良、契約解除、最低購入数量、販売地域、競業、代理店手数料、システム開発の仕様追加などが代表例です。口頭合意が多い中小企業では、契約書だけで事実が分かりません。注文書、見積書、検収書、チャット、議事録、請求書、入金履歴を時系列で並べ、争いの対象と通常取引を切り分けます。
主要顧客との紛争は、金額だけでなく売上継続へ影響します。解決のために特別値引きや無償対応をしている場合、過去利益が正常収益力を上回って見えることもあります。買い手には、一時費用と継続費用、当該顧客の売上・粗利、契約更新時期、代替顧客の有無を説明します。
製品・サービスの品質と安全
製造業なら不良品、仕様違反、リコール、再加工、PL事故、建設業なら施工不良や瑕疵補修、食品なら異物混入や表示、ITなら障害や情報漏えい、介護・サービス業なら事故や利用者対応が論点になります。過去数年の苦情件数、重大度、原因、是正処置、再発率、保証期間、仕入先への求償可能性を整理します。
一件の不具合が同じロット、同じ施工方法、同じシステム利用者へ広がる可能性を確認します。社内で修理費だけを集計し、顧客の操業停止損害や第三者被害を見落としてはいけません。事故の法的評価や自主回収の要否は専門家と所管機関へ確認します。
労務紛争・内部通報
未払い残業、固定残業代、ハラスメント、解雇、労災、安全衛生、社会保険加入、偽装請負、同一労働同一賃金などは、請求者一人の問題に見えても全従業員へ波及することがあります。個別和解の金額だけでなく、同じ勤怠制度が何人に何年間適用されたかを確認します。勤怠データ、賃金台帳、雇用契約、就業規則、調査報告、労基署対応をそろえます。
内部通報は、通報者の特定や不利益取扱いを避け、アクセス権限を限定して扱います。M&A資料として共有するときも、個人情報やセンシティブ情報を必要以上に開示せず、匿名化、閲覧制限、専門家間共有を検討します。人事施策の最終判断は社労士や弁護士へ確認してください。
税務・会計上の指摘
税務調査、修正申告の検討、源泉徴収、消費税、関係会社取引、役員報酬、交際費、在庫評価などは、追徴税額だけでなく延滞税・加算税、将来の処理変更に影響します。調査中なら、対象税目・年度、質問事項、提出資料、会社と税理士の見解、想定日程を整理します。結果を断定せず、判明範囲と未確定事項を明示します。
会計上引当金を計上していないことと、リスクが存在しないことは同義ではありません。反対に、保守的に計上した引当金がそのまま最終支払額になるとも限りません。会計処理、税務見解、契約上の価格調整を別々に検討します。
行政調査・許認可・法令遵守
許認可事業では、行政庁の立入検査、報告徴収、改善指導、更新審査、処分手続の状況が事業継続へ直結します。書面の名称が「指導」でも、未対応のまま譲渡すれば更新や取引先審査へ影響する可能性があります。通知書、提出済み報告、改善計画、行政庁との面談記録、期限、責任者を一元化します。
株式譲渡では法人自体が存続するため、原則として会社の過去の問題も会社に残ります。事業譲渡では契約や許認可の承継方法が異なり、特定債務を譲渡対象外にしても、実務上の評判や行政対応が完全に切り離せるとは限りません。必要な届出・再許可や処分の影響は所管行政庁と専門家へ事前確認します。
個人情報・サイバー事故・知的財産
誤送信、不正アクセス、ランサムウェア、顧客データの目的外利用、退職者の情報持ち出し、ライセンス違反、著作権・商標侵害の警告も対象です。事故対応が完了したように見えても、通知義務、再発防止、委託先管理、顧客補償、システム刷新費用が残ることがあります。
買い手へ個人データを開示する行為自体にも注意が必要です。初期段階では集計値や匿名化資料を用い、必要性が高まった段階でデータルームの権限、ダウンロード制限、目的、保存期間、削除確認を設定します。詳細はプライバシーポリシーも参照し、個別案件は専門家へ確認してください。
紛争・クレーム台帳の作り方
一件一行ではなく「判断に必要な項目」を持たせる
台帳には、管理番号、発生日、相手方、担当部署、事象の概要、請求額、会社の反論、外部専門家、手続段階、次回期限、関連契約、保険、会計処理、想定影響、開示資料、再発防止、社内責任者を記録します。金額未定なら空欄にせず「算定中」とし、算定方法と更新日を残します。終結案件も一定期間は保存し、同種問題の反復を確認します。
「重要」「軽微」の二分類だけでは判断が属人的になります。金額、発生可能性、事業停止日数、主要顧客への波及、許認可への影響、従業員数、報道可能性など複数軸で優先順位を付けます。評価基準を決めたうえで、経営者、経理、現場、専門家がレビューします。
証拠と説明文を一致させる
説明資料に「解決済み」と書くなら、和解書、入金・支払記録、取り下げ書、是正完了報告など終結を裏付ける資料を確認します。「保険で全額補償」と書くなら、免責、上限、対象外、保険会社の承認、弁護士費用、支払時期を確認します。保険会社への事故通知が遅れたことで補償に争いが生じる場合もあります。
メールの一部だけを抜き出すと、前後関係を誤解されます。主要なやり取りは時系列表を作り、原資料へリンクします。会社に不利な文書も勝手に削除せず、文書保存義務と訴訟対応について弁護士の指示を受けます。
定期更新と変更管理を行う
M&Aの交渉は数か月に及ぶため、初回開示後に新しい苦情や行政連絡が発生します。毎週または隔週で台帳を更新し、基本合意、デューデリジェンス終了、最終契約署名、決済の各時点で差分を確認します。買い手への追加開示が必要かを担当者だけで判断せず、アドバイザーと弁護士へ共有します。
決済直前に問題が判明した場合、隠して予定日を優先するより、影響を分析して延期、条件変更、特別補償などを協議する方が長期的な損失を抑えやすい場合があります。開示日、開示先、資料番号、受領確認を記録し、「言った・聞いていない」の争いを減らします。
買い手への開示は段階と範囲を設計する
秘密保持契約の後でも無制限には出さない
秘密保持契約を締結したからといって、相手方の個人情報、営業秘密、訴訟戦略をすべて初期段階で開示してよいとは限りません。候補者が複数いる段階では、問題の種類、概算レンジ、事業影響を匿名化して提示し、候補を絞った後に詳細資料を開示します。相手方への通知や同意が必要な情報、弁護士との通信、個人データは特に慎重に扱います。
データルームでは、閲覧者、閲覧期間、印刷・ダウンロード、透かし、質問経路を設定します。競合する買い手候補には、顧客別の詳細や原価情報が競争上センシティブとなるため、クリーンチームや集計情報の利用も検討します。秘密保持の基本はご利用の流れ・ガイドラインも確認してください。
悪い情報ほど早めに「構造化して」伝える
重大案件を最終契約直前に開示すると、買い手は内容だけでなく譲渡企業の情報管理姿勢を疑います。ただし、未整理の大量資料を初日に投げ込むだけでも理解は進みません。事実概要、会社の対応、金額レンジ、未確定事項、根拠資料の順に説明し、質問へ一貫して回答できる体制を作ります。
経営者が「必ず勝てる」「絶対に処分はない」と断定すると、後の展開と食い違った際に問題になります。弁護士の見解がある場合も、前提条件と作成時点を明示します。見通しが変わったら速やかに更新します。
開示資料と表明保証をつなげる
最終契約では、訴訟が存在しない、法令違反がない、重大なクレームがないなどの表明保証が置かれることがあります。例外案件を開示資料へ正確に記載し、どの表明保証に対する例外なのかを対応させます。単にデータルームへ資料が置かれているだけで十分な開示と扱われるかは、契約文言によります。
開示した事実について買い手がどこまで認識し、価格へ織り込んだかを明確にします。責任範囲、請求期限、免責額、上限、間接損害、保険金や税効果の控除、重複回収の禁止などは、表明保証・補償条項と一体で検討します。
価格・契約条件へどう反映するか
価格減額だけが調整手段ではない
リスクがあれば必ず同額を価格から引く、という単純な話ではありません。損失の発生可能性と金額が比較的明確なら価格へ反映する方法があります。不確実性が高いなら、特別補償、エスクロー、ホールドバック、支払留保、解決後の追加支払いなどを検討できます。どの方法にも譲渡企業の回収リスク、税務、管理費用、紛争長期化という違いがあります。
例えば、最大請求額三千万円でも合理的な予測損失が三百万円であれば、三千万円全額の減額が常に妥当とは限りません。一方、同種請求が拡大する可能性や行政処分による休業があれば、請求額以上の企業価値影響があり得ます。期待値だけでなく最悪時の資金耐性を確認します。
特別補償は対象と終期を具体化する
特別補償では、対象案件、対象損害、手続費用、第三者請求への対応権、和解権限、情報提供、保険利用、上限、期間を定めます。「本件に関連する一切の損害」のような広すぎる表現は、想定外の費用まで含む争いを招きます。逆に狭すぎれば、買い手が合理的な保護を得られません。
第三者との訴訟を誰が主導するかも重要です。譲渡企業が費用を負担するからといって、譲渡後の会社名義の訴訟を自由に指揮できるとは限りません。買い手が早期和解を望み、譲渡企業が徹底抗戦を望むこともあります。重要な和解への同意、同意を不合理に拒まない義務、協力範囲を決めます。
クロージング条件と解除権を明確にする
重大案件の解決、行政庁への改善報告受理、保険会社の補償確認、特定顧客との合意を決済条件にする場合があります。ただし、相手方や行政庁の都合で期限が読めない条件は、M&A全体を長期間止めます。最終期限、条件未達時の協議、放棄できる当事者、費用負担を設定します。
契約署名から決済までに新たな重大クレームが起きた場合の通知義務、通常の事業運営、和解の事前同意、重大な悪影響に関する条項も確認します。曖昧な解除権に頼らず、予想されるシナリオを契約へ落とします。
株式譲渡と事業譲渡の違いを誤解しない
株式譲渡では会社の履歴がそのまま残る
株主が変わっても法人は同じなので、契約、債権債務、従業員、係争は原則として会社に残ります。買い手は過去に起因する未発見問題も含めて調査し、譲渡企業へ表明保証や補償を求めます。譲渡企業は「自分が退任すれば終わる」と考えず、引継ぎ協力と資料保存を準備します。
一方、法人が同一であるため、契約や許認可を個別移転せず継続できる場合があります。ただしチェンジ・オブ・コントロール条項や許認可上の届出は別途確認が必要です。
事業譲渡でもリスクが自動的に消えるわけではない
事業譲渡では対象資産・契約・債務を選べる余地がありますが、契約移転、従業員承継、許認可、債権者保護、消費税など手続が増えます。買い手が係争債務を引き受けない設計でも、製品やブランドを継続利用すれば顧客対応上の影響を受けることがあります。また、詐害行為、商号続用、法令上の責任など個別論点もあり、単純な切り離しはできません。
どちらの方式が適切かは、対象問題だけでなく、主要契約の同意、税務、許認可、従業員、取引スピードを含めて比較します。問題を隠すために方式を選ぶのではなく、責任分担を透明に設計します。
従業員・取引先・金融機関への対応
説明時期を紛争対応とM&Aでそろえる
従業員にM&Aを説明する前に、係争情報だけがうわさで広がると不安が増します。誰が、いつ、どの範囲を説明するか、質問窓口、当事者のプライバシー、業務継続を計画します。個別労務紛争の内容を全社員へ開示する必要は通常なく、必要最小限にします。
主要取引先への説明では、問題の責任追及より、供給・品質・窓口・契約がどう維持されるかを示します。係争相手が主要取引先の場合は、M&Aを交渉材料に利用される可能性も考慮し、通知時期と発言内容を弁護士と調整します。
金融機関には資金繰り影響を説明する
係争に伴う引当金、仮差押え、担保、口座凍結、行政処分は融資契約の報告義務や財務制限条項へ関係する場合があります。個人保証解除や買い手融資の審査にも影響します。金融機関へ説明する際は、最悪時の支払額、支払時期、保険、手元流動性、改善策を準備します。
報告を遅らせると、M&A決済直前に同意が得られないおそれがあります。ただし秘密保持との調整が必要なため、既存融資契約と交渉段階を確認して進めます。
M&A相談事例:部品会社の品質クレームと未確定リスクの整理
以下は、当社に実際に寄せられたご相談をもとに、守秘義務および個人・企業の特定防止に配慮し、内容の一部を加工・再構成した相談事例です。 後継者不在を背景に株式譲渡を検討する産業機械向け部品会社から、主要顧客の寸法不良に関する調査依頼をどう扱うかというご相談がありました。請求額が未定で、生産ラインへの影響も確認が必要な段階の情報を、買い手候補へどう伝えるかが課題でした。
相談では、品質責任者が対象ロットと測定器の関係を確認し、出荷記録、検査記録、設備校正、顧客との通信を保全することを整理しました。外部専門家や保険会社へ確認する範囲、社内の問題台帳への記録、買い手候補への初期報告も検討事項としました。
対象範囲の調査、選別・再納入の手順、未確定の損害請求を分け、一般補償と別に扱う必要があるかを専門家へ確認する方針です。代金を留保する場合の条件、保険金受領時の精算、訴訟対応への協力、品質管理の改善投資についても、買い手候補との協議事項として整理しました。
問題が解決したと説明するのではなく、対象ロットと影響を調べ、未確定部分の契約上の扱いを検討することを重視しました。実際の案件では、責任の有無、保険、価格調整、顧客への説明は個別に判断する必要があります。
売却準備から決済後までの進め方
第一段階:経営者だけで判断せず情報を集める
最初の二週間程度は、M&Aの交渉資料を作る前に情報収集へ充てます。経理には長期滞留債権、貸倒処理、返品・値引き、引当金、弁護士費用の一覧を依頼し、総務・人事には労働局、労基署、年金事務所、元従業員からの連絡を確認します。営業には重大苦情と契約解除の示唆、製造・品質部門には事故、不具合、是正処置、仕入先求償を確認します。社長が知らない現場対応がないか、責任追及を目的としない聞き取りを行います。
この段階で「売却に不利だから報告しないでほしい」と受け取られる言い方をすると、重要情報が上がりません。M&Aの秘密を守る必要がある場合は、具体的な売却計画を伝えず、年次リスク点検として行う方法もあります。ただし調査目的を偽って個人情報を不適切に集めないよう、対象範囲は専門家と検討します。
第二段階:案件を三つの群に分ける
収集した案件は、概ね「通常業務内で解決済み」「対応中だが事業影響は限定的」「企業価値や事業継続へ重大な影響があり得る」の三群に分けます。分類は請求額だけで決めず、反復性、顧客集中、許認可、身体・安全、報道、資金繰りを考慮します。境界案件は保守的に上位へ置き、専門家の見解を得てから下げます。
重大群については、最良・基本・最悪の各シナリオで、直接支払、専門家費用、売上減少、設備投資、操業停止日数、対応期限を試算します。数字の精度が低い場合は幅を示し、何が判明すれば幅を狭められるかを記載します。こうしておくと、買い手から追加質問を受けても、単なる楽観論ではなく合理的な検討過程を説明できます。
第三段階:是正、開示、取引条件を並行して進める
M&Aのために問題解決を止めてはいけません。通常の顧客対応、事故拡大防止、行政期限、労働者保護を優先しながら、開示資料を更新します。買い手の同意が必要な交渉段階では、緊急措置と重要な和解・責任承認を区別し、連絡手順を決めます。相手方への不必要な刺激を避けつつ、証拠保全と期限管理を続けます。
同時に、買い手候補へどこまで説明すれば企業価値を適切に評価できるかを検討します。重大問題が取引全体を左右するなら、基本合意の前に概要を伝えることもあります。詳細調査で初めて判明した事実は、責任の押し付け合いにせず、追加調査、価格、特別補償、決済時期の選択肢を比較します。
第四段階:決済後の実務を引継書へ落とす
最終契約に補償条項を書くだけでは、現場の引継ぎは完了しません。案件ごとに次回期限、裁判・行政の日程、担当弁護士、保険会社、原本保管場所、社内窓口、相手方の連絡傾向をまとめます。譲渡企業個人のメールや携帯電話に履歴が残っている場合は、個人情報と会社情報を適切に分け、会社が継続対応できる形へ移します。
譲渡企業が決済後も協力するなら、期間、時間数、交通費、証人出廷、書面作成、秘密保持、連絡方法を決めます。無期限・無償の協力義務は双方の負担になり、逆に連絡不能では会社が防御できません。案件終結時には、留保金の解放、保険金精算、資料返却・廃棄まで確認します。
避けたい対応と改善方法
口頭で説明しただけで済ませる
面談で社長が説明しても、参加者の理解や記憶は一致しません。後から重要な前提が抜けていたと判明すると、説明の有無が争われます。質問回答表、開示資料、議事メモを作成し、更新版には日付と変更箇所を付けます。断定できない事項は「未確認」「調査中」と明記し、回答期限を設定します。
請求額ゼロだから重要ではないと判断する
行政調査、情報漏えい、品質事故、ハラスメント通報は、当初請求額が示されないことがあります。それでも操業停止、顧客離反、全社調査、制度改修へ広がる可能性があります。金額欄だけで優先順位を付けず、事業影響と波及範囲を評価します。
買い手へ解決を丸投げする
売却後は買い手が経営するから任せればよい、という姿勢は信頼を損ねます。譲渡企業しか知らない交渉経緯や現場事情があれば整理し、必要な協力を提示します。一方、譲渡企業が譲渡後もすべてを支配しようとすると買い手の経営権と衝突します。意思決定権と費用負担を契約で分けます。
和解を急いで責任範囲を広げる
M&Aの期限に間に合わせるため、事実調査をせずに広い責任を認めたり、秘密保持や将来請求の放棄が不十分な和解を結んだりすると、別の請求を招く場合があります。迅速な解決は重要ですが、対象当事者、対象期間、請求放棄、税務、保険会社の同意、他案件への先例を確認します。
資料を整理する過程で不都合な記録を消す
メールやチャットの削除は、事実認定を不利にし、証拠隠しと疑われるおそれがあります。通常の保存期限が到来していても、紛争が予見される案件は専門家に相談して保存します。個人端末、クラウド、バックアップを含む保全範囲を決め、関係者へ書面で指示します。
譲渡企業の実務チェックリスト
初期整理
- 過去三年から五年を目安に、訴訟、請求、苦情、事故、行政照会、内部通報を部署横断で抽出したか
- 訴状の有無ではなく、金銭・契約・許認可・評判への影響で対象を決めたか
- 相手方、発生日、主張、会社見解、金額、期限、担当者を台帳化したか
- 顧問弁護士、税理士、社労士、保険代理店が持つ案件一覧と照合したか
- 引当金、滞留債権、返品、値引き、事故報告との整合を確認したか
開示と交渉
- 秘密保持契約と競合買い手への情報制限を設計したか
- 事実、見解、予測、未確定事項を分けて説明しているか
- 原資料、時系列、損失シナリオ、再発防止策を結び付けたか
- 追加発生・進展を定期更新し、開示記録を残したか
- 表明保証の例外と開示資料の対応関係を確認したか
最終契約・決済
- 価格調整、特別補償、留保のどれで扱うかを比較したか
- 上限、期間、対象損害、手続費用、保険、税効果、重複回収を定めたか
- 第三者請求の防御・和解を誰が主導するか決めたか
- 決済条件が第三者次第で無期限にならないか確認したか
- 決済後の資料保存、連絡窓口、証人協力、費用負担を決めたか
よくある質問(FAQ)
Q1. 訴訟中なら、判決が出るまで売却できませんか
必ずしもそうではありません。争点、請求額、見通し、事業影響を開示し、価格、特別補償、留保、訴訟対応を契約で設計して進められる場合があります。ただし重大な許認可取消しや事業停止の可能性がある場合は、解決や一定の進展を決済条件とすることもあります。
Q2. 少額クレームもすべて買い手へ伝えるべきですか
通常の業務で発生する軽微な苦情を一件ずつ初期説明する必要性は案件により異なりますが、一定額以上、反復性、重大事故、主要顧客、法令違反のおそれなど合理的な基準で一覧化します。軽微と判断した基準と集計値を説明できるようにします。
Q3. 保険に加入していれば価格への影響はありませんか
断定できません。免責額、支払限度、対象外、通知期限、保険会社の承認、間接損害、弁護士費用、支払時期を確認します。保険金が出ても顧客離反や再発防止費用が残る場合があります。
Q4. 弁護士の意見書をそのまま買い手へ渡せますか
弁護士との通信の秘密や訴訟戦略への影響があるため、無断共有は避けます。弁護士と相談し、要約書、前提を限定した見解、専門家同士の共有など適切な方法を選びます。
Q5. 問題を開示すると必ず値下げされますか
必ずではありません。影響が限定され、十分な資料と改善策があれば不確実性が下がります。反対に、遅い開示や説明の矛盾は、実際の損失以上に信頼と価格へ影響し得ます。
Q6. 決済後に新しい請求が届いたら誰が対応しますか
株式譲渡では会社が一次対応することが多いものの、過去事象に関する譲渡企業の補償、通知、協力、対応主導権は最終契約によります。連絡先、期限、資料アクセス、和解同意を決済前に決めます。
まとめ:不確実性を隠さず、管理できる形へ変える
係争、クレーム、行政調査がある会社でも、M&Aの可能性を直ちに諦める必要はありません。重要なのは、正式な訴訟だけでなく潜在的な火種を洗い出し、証拠と時系列を整え、事業・資金への影響を複数シナリオで説明することです。そのうえで、段階的な情報開示、価格、特別補償、留保、決済条件、関係者対応を一体で設計します。
早い段階で整理すれば、経営者自身も問題の全体像を把握でき、M&Aを進めるか、先に是正するか、別の取引方式を選ぶかを比較できます。反対に、直前まで伏せると交渉の選択肢が狭まります。法務・税務・労務・行政・保険の判断は専門家へ確認し、事実と見通しを混同しないことが大切です。
係争やクレームがある状態での会社売却をご検討の方へ
大阪M&A総合センターでは、秘密保持に配慮しながら、売却準備と情報整理の進め方をご相談いただけます。まだ売却を決めていない段階でも構いません。譲渡を検討するオーナー様は譲渡企業様向けお問い合わせ、買収を検討する企業様は譲受企業様向けお問い合わせをご利用ください。

